そえんそえん
3ヶ月ぶりに会った友人と久しぶりに何時間もおしゃべりをしてとても楽しかった。テンションが上がり過ぎて、帰宅してからどっと疲れが出た。喉も変だし眠くて仕方がない。毎日どんだけ静かに暮らしていたんだろう。
その人とは関係がないのだけれど、ちょっと思ったこと。
それまで親しかったはずの人の態度が変わり、そのことに驚いた私がそれを「ほにゃらら」と解釈して離れ、そのまま疎遠になってしまった……ということがあったとする。
具体的にはどこでどうして変化したのか、実は分からない。分からないけれどその態度がショックで、きっと「ほにゃらら」だからに違いないと思う。ただ、そ れを確認してしまうのも怖いから、自分を守る為に(なぜなのか知ってそのことに傷つくことがないように)さっさと距離を置いてしまう。相手も遠ざかって縁 が薄れる。
最初のうちは孤独を感じ、きっと私が悪いんだろうと思っている。けれども、会うこともないまま日々が過ぎると、だんだん「しょうがないな」が板について、自分の中でいろんな感情が収まり、やがてその人や出来事に対する気持ちが平になる。
縁の切れたままそれからまたしばらくたつ。ふと気づくと私は、ずっと「ほにゃらら」と解釈していたことに、「ほげほげ」という別の解釈を思いついている。後者の方がずっと自分に優しい解釈だ。前者のようにお前が悪いとは責めてこない。
そこで不思議なのが、どうして最初から後者の解釈をしなかったのかということだ。そうすればもっと楽だったはずなのに。
結局、そうできなかったのは、それが運命だったから……というか、そう考えることが必要だったからなんだろうなあ。あのときは「ほにゃらら」と思うことと その後の葛藤が、今は「ほげほげ」と考えて収めることが、私には必要で、無意識のうちに、そうしたくてしたのかもしれない。
他人の気持ちは分からない。
もう、それに尽きるし、それはお互いさまだ。
だからといって、なんでも訊いてしまえば済むというものでもなく、「曖昧」は今度また縁があったときのため、なんだろうなあ。……と、曖昧に書いてみた。 PR