食器棚を労る

<p>夫は出張、娘もバイトで23時くらいまで帰って来ない。時間がある。よし、今日は年末にやり損なっていた食器棚の整理をしようと、午後になって思い立った。腰はまだ痛いけれど、じっとしていると固まったようになって
、ちょっとした動きでぐぎっと痛む。それよりも適度に動いていたほうが気が紛れる気もした。</p>
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<p>中の食器を全部出して、出して、出して、棚も引き出しも下の扉の中も拭いて、さてさて、どう仕舞ったら今までよりも使いやすくなるだろうと、鈍く痛い腰に手をあて空っぽの食器棚を見上げる。棚の位置も数も変えよう
。なるべく食器は重ねないようにしよう。</p>
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<p>&hellip;&hellip;と、それは楽しい作業だったはずなのだけど、例によって無計画に始めたので、途中で欲しいもの足りないものが出てきてホームセンターに出かけることになった。ドアを開けて運転席に座ってから、右足
を入れるのが思いの外痛かったけれど、運転に支障はなかった。が、売り場を歩いているうちに、けっこう疲れていることに気づいてしまった。</p>
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<p>帰って来れば、わたしを待っているのは食器の散らかったキッチンの惨状だ。お手伝いの小人さんはいない。一度に全部やるんじゃなかったと後悔しても遅い。とにかく数を減らさないと出し入れがしにくいので、とりあえ
ず、何かでもらったようなお皿や、奥にあって今後も使いそうにない器から手放すことにしてバンバン袋に入れると、それだけでも結構重いので驚いた。いったい食器棚は、どれだけの重さに耐えてきたんだろう。</p>
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<p>片付けをするたび、去年のわたしが、一昨年のわたしが、「これは要る」と残したものを捨てる。「どうして取っておいたんだろう?」とさえ思う。その気持の変化に、薄情なじぶんを見るような気がしたりもするけれど、
その分、身も軽くなっているんだろう。時が経って捨てられるものは、最初から捨てられるものなのだ。最後まで捨てられないものは「もの」じゃないのさっ。</p>
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<p>さて、ただいま21時。</p>
<p>まだ時間はあるけれど、とりあえず娘が帰宅したときに驚かない程度にはなったから、座って、ここでこうして、どうでもいいことをブログに書いて現実逃避中なり。</p>
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