水割りの「涼」  ~トケイソウほか~


  「春は暖かく、夏は暑く、秋は涼しく、冬は寒し」
 四季の温度変化から受ける一般的な感覚を表現すればこうなる。ところが、俳句の世界で ‘涼し’ は秋の季語だと思いきや、夏

の季語である。暑さの厳しい折、ちょっとした涼気、涼風や木蔭に入った時に感じる僅かな涼しさをありがたく思う心情から夏のも

のとされたのであろう。また、‘暖か’、‘暑し’、‘寒し’は客観的であるが、暑さを避けるために工夫をこらして涼しさを味わ

うことの‘納涼’、暑さをしのいで涼むことの ‘涼を取る‘ などの言葉がある通り、‘涼し’ だけは主観的だ。‘涼し’は人によ

って感ずる度合が異なり、その取り方や工夫もまちまちである。
 私が求める涼の取り方の一つに水割りの「涼」がある。中国古代史に関わる書物を好んでよく読むのであるが、儒家の基本的経典
は十三経あり、その中の一つに周王朝の行政組織を記録した『周礼』がある。その中に医食同源や薬食同源の考えに基づいた王に出

す食事について記されており、飲料については、水、漿、醴、涼、醫、酏の六種類となっている。後漢の人、鄭司農はそのうちの「

涼」について、
  「涼、水を以って酒を和するなり」
と注釈した。つまり、「涼」とは酒を水で割ることなのである。元々「涼」には ‘薄める’ という意味があることを知れば、容易

に理解できるであろう。
 行きつけのクラブでカウンター一番奥の席に居座り、静かにウイスキーの水割りを嗜む。グラスを片手に氷が躍る心地よい音を耳

にしながら、もの想いに耽るのが好きである。不思議と心が静まり、いつの間にか暑さも忘れ、まさにそこは涼む「涼」の世界とな
 このところ、仕事が忙しく、記事の題材が何も浮かばなかった。詰まらない話をしてしまったが。何てことはない。「涼」には「

酒の水割り」の意味もあることを知って欲しかっただけである。仕事の合間にこんな事を考えているのだから、万事上手くいかない

のは当然かも知れない。
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